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- 菅生荘(中世)とは
「菅生荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 菅生荘(中世) 南北朝期に見える荘園名吉田薬王院領暦応3年11月晦日の菅生荘本郷五町別半分御免名寄帳写に「注進菅生庄本郷五町別半分御免名寄事」と見え,当荘の本郷を構成する忠時・吉国・為安・重益・正清・重守・安清・正安・吉永・時未(末か)・太郎丸・吉綱・清正・国永・宗吉・次郎丸・次郎別当・西仏・重松・快木・得丸・名吉永の22の名と各名ごとに面積,反別の分銭・分米・分籾が記載されている(吉田薬王院文書/県史料中世Ⅱ)当荘の実態については不明な点が多く,現在の水海道【みつかいどう】市と岩井市にまたがる菅生沼周辺と考えることもできるが,この地は下総国内であり,また薬王院領としては離れすぎる常陸国内にあったと思われるが詳細は不明 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 菅生荘(中世) 鎌倉期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 菅生荘(中世) 室町期に見える荘園名摂津国のうち「拾芥記」には明応9年10月13日のこととして「申御暇下向摂州菅生荘代官高枕軒処」と見え,五条為学が当荘の代官高枕軒の所へ赴いた旨が記されている(集覧)菅笠の材料となる菅を供給する地で,西成【にしなり】郡もしくは東成【ひがしなり】郡のうちと思われ,現在の大阪市内に比定されるが,詳細は不明... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 菅生荘(中世) 鎌倉期に見える荘園名所属郡未詳建長5年10月21日の近衛家所領目録に請所の1つとして「〈同(紀伊)国〉 菅生庄〈冷泉宮領内〉」と見える(近衛家文書/鎌遺7631)比定地は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」