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- 惣持とは
「惣持」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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惣持寺村(近世) 江戸期~明治12年の村名平群【へぐり】郡のうち大和川右岸に位置する地名の由来は,鎌倉期から戦国期にかけて存在した律宗寺院惣持寺によるというはじめ竜田藩領,のち楽人領(明暦元年頃~寛文5年の間か)村高は,「慶長郷帳」50石余,ほかに悪(惣の誤記か)地子として10石,「寛文郷帳」「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに60石余楽人領は,南都楽所(南都寺社に奉仕した狛姓の楽人)の領地をいう文政8年勘定目録(三郷町史)によれば,高60石余,免6ツ8分,物成41石余享和元年五人組御改帳(同前)に,庄屋・年寄と組が4組あり,21軒があったことがわかる天保15年宗門改帳(同前)によれば,家数19・人数111(男56・女55)神社は春日神社寺院は融通念仏宗養福寺・真言宗持聖院明治12年勢野【せや】村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
惣持村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
惣持寺村(中世) 南北朝期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
惣持院門前【そうじいんもんぜん】 (近世~近代)江戸期~明治2年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
惣持院門前(近世~近代) 江戸期~明治2年の町名谷中【やなか】を冠称惣持院は総持院とも書く広隆山と号し天台宗浅草東光院の末寺で,寛永16年神田寺町に創建,慶安元年谷中に移転門前町屋は移転後の起立で,延享2年町奉行支配地となる(備考)文政年間の町域85坪・家数8軒(町方書上)明治2年谷中惣持院町となる現行の谷中6丁目の一部... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
惣持【そうじ】 加古川上流域に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
惣持(近代) 明治22年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」