ケータイ辞書JLogosロゴ 曽地中村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もとは曽地村一村であったが,江戸中期に曽地村が曽地口村・曽地中村・曽地奥村の3か村に分かれたことにより成立。篠山藩領。村高は,延享3年高附帳・天明3年高附帳ともに309石余。なお,「天保郷帳」では曽地村一村として記される。天明3年高附帳による家数92,人数男200・女161。字東山に八幡神社が鎮座し,境内社の稲荷神社は松平山城守忠国の江戸稲荷角力の曽地山左近社である。寺院は曹洞宗光峰(法)山長和寺があり,創建は長和2年という。字井関に観音堂がある。明治8年曽地小学校を開設,教員数1,生徒数男37・女5。同22年日置村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392607
最終更新日:2009-03-01




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