ケータイ辞書JLogosロゴ 曽禰(中世)


兵庫県>高砂市

 戦国期に見える地名。播磨国印南【いなみ】郡のうち。永禄12年と思われる8月19日の朝山日乗書状案によると,毛利元就の播磨出兵依頼に応じた織田信長は,木下助右衛門尉・木下定利・福島正則を大将として池田勝正・別所長治を従軍させ,増井城以下5か城を落とし,置塩・御着・曽禰の各城主に対しては降伏を勧めている(益田家什書/大日料10‐3)。その後,毛利氏と織田氏の対立が表面化し,信長は中国平定に羽柴秀吉を派遣,秀吉は天正6年以降別所氏の三木城攻略にとりかかった。同8年と思われる正月14日秀吉が奈佐左衛門尉に宛てた書状には,同10日夜「神吉・そね・姫路者共追付,数人討捕申候」と記されている(慶応義塾大学図書館所蔵文書/和歌山市史4)。また永正12年成立の「春夢草」に,「播州曽ねといふ所に,松の古木あるをみて 陰ふかし世は木からしの岩ねまつ」と見える(続群36)。なお,当地には伊保荘天神(曽根天満神社)があり,「曽根文書」中には各武将からの寄進状などが見える(県神社誌)。また,天正16年12月25日の伊保荘指出案には「本庄村」と見えている(曽根文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392622
最終更新日:2009-03-01




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