ケータイ辞書JLogosロゴ 田井村(近世)


兵庫県>浜坂町

 江戸期〜明治22年の村名。但馬国二方郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長10年旗本宮城氏知行,正保元年幕府領,寛文8年からは豊岡藩領。村高は,元和3年の二方郡高帳271石余,寛永4年の二方郡高帳新高280石余,享保12年の京極氏引渡高271石余,「国高一紙」238石,「天保郷帳」293石余。鎮守は二方神社・兵主神社の2社。字松尾谷の臨済宗天竜寺派楞厳寺は,南溟禅師建立の寺として知られ,守護山名時熙が室町幕府の命により多くの荘園を寄進して興隆に力を尽くした寺院で,かつては中本山であり,天皇の綸旨,足利将軍や山名氏関係などの書画多数を有する。かつての末寺である自得寺・慈済寺もあり,舒陽庵屋敷跡に座禅堂が建立されている。田井川は清富字ニヤガハナで現久斗川に合流していたため排水が悪く,低地の田井耕地には江戸後期に郷坂にトンネルを抜き,村の北東に沿って流れるよう改善した。明治11年の戸数53。同22年東浜村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392640
最終更新日:2009-03-01




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