ケータイ辞書JLogosロゴ 高平荘(古代〜


兵庫県>三田市

 平安期〜鎌倉期に見える荘園名。摂津国河辺郡のうち。延久3年6月24日付太政官符に「一,応如旧為彼家領令従国務字高平庄事」とあり,延久荘園整理令に基づき当荘の文書が記録荘園券契所で調査され,正子内親王家領とすることが摂津国司に命じられた。次いで,平安末期の治承4年5月11日付皇嘉門院惣処分状によれば九条家分のうちに「つのくに……たかひら」と見え,皇嘉門院(関白藤原忠通の娘聖子,崇徳皇后)から甥の良通に譲与されている(九条家文書/平遺補11・3913)。良通早世のあとは九条兼実が管領したとみられる。文保元年7月25日付性円寄進状には「摂津国高平庄弘長跡地頭職」とあり,当荘地頭職が弘長・弘茂・尼道恵・性円と相伝され,この時,性円と紀氏女の逆修のため多田院に寄進された旨を記す(多田神社文書)。荘域は現在の三田【さんだ】市酒井・十倉・田中・川原一帯と推定される。なお,観応年間に足利尊氏が白川伯家に寄進し,のちに義満が安堵した「摂州高平御厨」も当地にあったものか(細川家所蔵4月22日付細川頼之添状/西宮市史4)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392815
最終更新日:2009-03-01




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