ケータイ辞書JLogosロゴ 滝野荘(古代)


兵庫県>滝野町

 平安期に見える荘園名。播磨国賀茂郡のうち。藤原氏の大学寮の別曹勧学院の荘園。現在の滝野町の上滝野・下滝野・光明寺の地域。「権記」長保2年8月9日・10日条に,「播磨国滝野庄司」に関する記事がある。同年9月26日条には,「播磨国滝野庄申,以播磨利行,補総官,利明宿禰卒去替文」とあり,播磨利行が滝野荘総官に補任された。利明宿禰は,天元2年当時の播磨少允播磨造利明と考えられる(除目大成抄)。鎌倉期の建治2年と推定される4月28日付の浄成申状には,勧学院領滝野高島荘領主職は,本領主陰陽頭家栄の先祖開発の地であり,相承して他の妨げなく家栄から浄成まで相伝8代,200年になり,摂録も累代に及ぶとある(勘仲記弘安元年冬巻裏文書/鎌遺12329)。陰陽頭家栄は賀茂氏である。久安6年11月15日付陰陽頭賀茂某下文案によれば,藤原俊宗が譜第の理により滝野并高島荘の下司職に補任されている(井上四郎氏所蔵文書/平遺4725・4773)。寛元2年7月日付の勧学院政所下文案によれば,鎌倉期に入っても,藤原時長に滝野荘公文職・高島荘下司職が安堵されている(広橋家記録経光卿紙背文書/鎌遺6355・6356)。浄成は先祖開発の地であると言っているが,在地の開発領主藤原氏が賀茂氏(領家職)に寄進し,これを勧学院(本家職)に再度寄進したものと考えられている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7392859
最終更新日:2009-03-01




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