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- 竹屋町(近世)とは
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竹屋町(近世) 江戸期の町名伊丹【いたみ】村(伊丹町)を構成する27か町の1つ文禄年間までに成立曹洞宗墨染寺は天正18年の創建本尊の薬師如来座像は鎌倉末~南北朝期の作境内には正和2年銘の層塔や,有岡城落城時に惨殺された婦女子を悼んで建てられた女郎塚の碑,俳人上島鬼貫の故郷墓・句碑がある天明6年当時には泉屋利兵衛ら3人の江戸積酒造家がいた現在の伊丹市中央6丁目・伊丹3丁目あたり |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
竹屋町(近世) 江戸期の町名江戸初期清須城下の1町「尾張志」によれば,本町の右の方にありとする清須城の南に位置する「駒井日記」によれば,文禄3年の清須町奉行家改帳の三輪五右衛門請取の町として,家数46「寛延旧家集」に研師として竹屋三間忠右衛門・喜参の名が見える慶長15年頃始まった清須越により名古屋城下の竹屋町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
竹屋町(近世) 江戸期~明治2年の町名室町通鞍馬口下ルの町町名は寛永14年洛中絵図に見える江戸期は上立売八町組枝町の小山八町組に属す明治2年西園寺町と合併し,竹園町となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」