ケータイ辞書JLogosロゴ 立石村(近世)


兵庫県>三原町

 江戸期〜明治10年の村名。淡路国三原郡のうち。当地はもと国分(国部)村に属し,慶安4年の検地帳には国分村のうちの立石分と見え,寛文13年の検地帳では独立した村となっていた(味地草)。阿波国徳島藩領。八木組に属す。村高は,「天保郷帳」6石余,「旧高旧領」107石余。慶安年間に武大夫(真野氏)が開墾し,同4年の検地帳によると田畑4町8反余であったという(八木村誌)。「味地草」では,高106石余のうち給人の知行地53石余,家数21,国部村国分寺の塔頭7寺のうち住蓮寺・法蓮寺が地内にあったという。水利は池掛りで,用水池は大久保村立石池。鎮守は妙見祠。住蓮寺跡に妙学院があった。薬師堂は正保寺とも呼ばれ,正保年間に建てられたという(淡路草)。明治10年笶原【やはら】村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393016
最終更新日:2009-03-01




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