前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 竪町(近世~とは

「竪町(近世~」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

竪町(近世~


 江戸期~昭和59年の町名...

全文を表示する


[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7393025]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

◆関連辞書(JLogos内)


  1. amazon商品リンク
竪町(近世~近代)

江戸期~昭和41年の町名江戸期は前橋城下町人町の1町で,明治22年前橋町,同25年からは前橋市の町名となる貞享元年の「前橋風土記」(県史料集1)に見える下之町が竪町・横町・桑町に分かれて成立東西の本町通に対して南北に直交する町で,東西の町を横町と称したのに対して竪町と呼んだ北は広瀬川に架かる厩橋を渡って細ケ沢町,西は武家地で,のちの神明町域にあたる元文4年の竪町水帳写(古屋家文書)の末尾によると,下ノ町分5町15歩のうち2町6畝7歩が竪町とある同水帳写に屋敷割りは49筆あり,間口は5間から6間が約半数,10間以上が8筆あるが,屋敷面積は5畝以上が40名を占めるまた水帳末尾に享保18年の竈数66・家数63,家数のうち本家38・店家10・小家15とあり,すでに階層分化が認められる以降の戸口の変化をみると,まず明和8年1月12日の大火記録(松平藩日記)では,総家数63,このうち焼失61,また竈数64,うち土蔵4・御家人2・山伏2となっている安永9年11月16日の大火記録(同前)には,家数64,うち焼失60,焼失家屋の内訳は家主54・店借6寛政2年の家数人別書上帳(前橋市立図書館蔵文書)では,組数6,家数60・竈数73,竈数の内訳は家主60・借家8・尻付3・逗留2,人数は男136・女123,寺社1,持馬2安政5年の竪町総家数増減改帳(古屋家文書)では,安政4年が竈数66うち家主46・借家20,家数61,人数は男152・女146,翌5年は竈数69うち家主48・借家21,家数61,人数は男160・女149慶応3年の五人組改帳・寺社人別帳(高島家文書)では人数男172・女154・僧1となっている当町は藩主の明和4年川越移城後もほぼ同様の人口を保ってきているが,竈数の増加はその中で階層分化が進んだことを示しているまた慶応3年は,10年前の安政4年に比べ人口が増加しているが,これは前橋製糸業生糸市が盛況を迎えてきた背景による慶応4年の越後生糸通行手形(池田家文書)によると,越後魚沼郡大崎村(現新潟県大和町)から糸荷2個が当町の中屋徳兵衛宛に送られたことがわかるが,この史料は前橋生糸市場の繁栄を示しているまた当町に生糸商がいたこともわかるが,職人は文政12年の諸職人元帳で鍛冶1・大工1が見えている(勢多郡誌)なおこの鍛冶は「御用釘屋に付役銀免」と記されている明治8年曲輪町の一部を合併同11年の戸数178・人口482なお明治40年刊行の「前橋繁昌記」によると,町内に蚕糸4・土木3・工業13・衣服12・荒物17・雑貨16・料理12・飲料15・乾物青物等7・砂糖並菓子5・医療17・髪結銭湯2の合計123の商家が見え,立川町に次ぐ数字となっている(前橋市史4)昭和41年本町1~3丁目・千代田町1~5丁目となる

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

竪町(近世~近代)
江戸期~現在の町名江戸期は小倉城下の1町小倉城の西に位置し,旧板櫃川に近接する西曲輪のうち古くは田畑沼地で,細川氏時代に開拓したというが(倉府俗話伝),同時期に竪町の町名を見ることはできない小笠原氏時代の正徳年間までには竪町2丁が整備された(小倉市誌)立町とも書く享保の飢饉では70人の餓死者を記録した(開善寺過去帳)幕末期の城下町屋敷絵図によると,北は大門町,南は田町に接し,東西は武家屋敷となる西の一角に安国寺がある町並みは北から南へ,くの字形に220m余続き,84軒(うち大工11軒)を数える文久年間城下酒造業者24軒のうち当町には亀屋利兵衛がおり,同店は元禄年間より酒造を営んでいたという(小倉商家由緒記)新屋安左衛門は醤油製造,明石屋は織物業明治17年の戸数77・人口345同22年小倉町,同33年小倉市,昭和38年北九州市小倉区,同49年からは同市小倉北区に所属昭和47年からは1~2丁目がある昭和46年一部が大門1~2丁目となり,同47年大門町と田町・西紺屋町・西鍛冶町・板櫃の各一部を編入昭和33年竪町郵便局設立,同34年田町郵便局と改称昭和22年の世帯数225,人口809人(男392・女417)1丁目と2丁目の境を西鉄北九州線が通り,沿線に小店舗が並ぶ2丁目には西部ガス北九州支店や九州卸商センターがある世帯数・人口は,同50年462・1,261,同58年348・883...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

竪町(近世~近代)
江戸期~昭和44年の町名江戸期は館林城下19町の1つ(館林記/県史料集2)館林城大手門南西の札の辻の西方に位置する東西の町並みで,東は連雀町,西は材木町と接する南北の横町に対する竪町で,「館林記」によれば,町名は連雀町・並木町と同様に旧青柳城の城下町佐貫町にあったものという(県史料集2)はじめ連雀町のみで開かれていた館林の六斎市は,のち谷越町・足利町および当町で順次開かれるようになった延宝2年の館林城下町図(館林市立第一資料館蔵青山文書)に町名が見え,「館林記」による延宝2年の家数42,人数は男142・女146,馬17弘化3年の町方引渡帳(館林藩史料/館林双書)では家数39・町役人無役屋敷3・町役人無役屋敷借家1・定使無役屋敷1また「嘉永元年館林城下地図」では家数54となっている明治7年の地券改め以後に横町の南部を編入「県邑楽郡町村誌材料」による耕宅地3町余町名は,明治22年館林町館林,昭和29年からは館林市館林の通称町名として存続してきたが,同44年仲町・本町1~4丁目となる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

竪町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治19~22年3月は松江竪町江戸期は出雲国意宇【いう】郡のうち松江城下町の1つ天神川南岸に位置する町名は天神橋から南へ竪(縦)に続く町であることに由来町内南端を山陰道が横断する,参勤の要路として発達した文化8年以降,防火組は横浜町とともにち組に属し,火消夫20人を常備した嘉永5年,横浜町からの出火により当町の全域が焼失寺院に浄土宗信楽寺・真宗東本願寺派正源寺・本願寺派の本誓寺がある明治4年島根県に所属同9年の戸数235・人口962和船47艘,清酒・酢・醤油などを生産(皇国地誌)同22年松江市成立に伴い同市の町名となる同年の戸数206・人口897世帯・人口は昭和30年168・800,同35年197・828,同40年189・741...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
430曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『図書館記念日みその日(毎月30日)』

1950(昭和25)年のこの日に図書館法が公布されたことにちなんで、日本図書館協会が制定し、1972(昭和47)年より実施しています。この日に続く5月を「図書館振興の月」として各地の図書館でさまざまな催しが行われています。

今日の暦

月齢:21

月齢:21
月名(旧歴日):二十日余りの月(はつかあまりのつき)

・2024年(年/竜)
・4月(卯月/April)
・30日
・火
・Tuesday
・赤口

二十四節気:「穀雨<
・a>」から<
・font>11日「
立夏<
・a>」まで<
・font>5日


JLogos Now!!