ケータイ辞書JLogosロゴ 玉野(中世)


兵庫県>加西市

 南北朝期から見える地名。播磨国加西郡のうち。「八坂神社記録」応安4年10月8日条に「一,次ノ西河井,大河渡テ又野アリ,其名玉野云々〈ハムミヤウ野ノ下ノ壇ノ西也〉」と見え,この年広峰社預所職に関して八坂神社の下人が下向した際当地を通過している(続大成)。この頃の玉野は隣接する飯盛野・鶉野・宮来原(宮木)を含む原野の総称と考えられる。続いて同記録に「三口,自東条市三里半,今日昼ノ休所,中山ト云山越行,漸広峰山見」とあり,広大な玉野原野の南部を通過する道が考えられ,それは西国第25番札所清水寺より第26番法華山に通じる西国巡礼街道と大体一致する。下って,天正年間と推定される8月12日付の木下家定書状写に「玉野むら衛門兵衛」が見える(広峰文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393136
最終更新日:2009-03-01




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