ケータイ辞書JLogosロゴ 都志本村(近世)


兵庫県>五色町

江戸期〜明治12年の村名淡路国津名郡のうち淡路島西部,都志川下流域地名は都志郷の中心地であることに由来すると思われる当地では条里制の遺構が確認されている文禄4年豊臣氏蔵入地,慶長8年脇坂安治領,同14年藤堂高虎領,同15年池田忠雄領,元和元年からは阿波国徳島藩領村高は,「郷帳下書」464石余,「天保郷帳」684石余,「旧高旧領」837石余なお,これらの村高には浜方の都志浦を含む寛永4年の検地帳では反別43町余,高677石余,安永3年の検地帳によると反別46町余,高848石余「味地草」では高828石余,家数76津名郡戸数反別取調帳によれば,家数70・人数411,反別45町余,高837石余(五色町史)寺堂は,高田屋嘉兵衛墓石のある多聞寺,来迎寺旧跡,地蔵堂小字地名として領主の住居跡という土居,壇,庄屋屋敷跡の掃守がある庄屋勝矢家は豊臣秀吉の代官石川紀伊守,三宅丹波守,税吏奥村与三郎,清水忠兵衛の古文書を有する当村は蝦夷地開発,文化年間ゴローニン事件解決の立役者で,廻船問屋の高田屋嘉兵衛の生誕地彼は晩年には,郷土である当地方の貯水池の築造,港湾の修築にも尽力した医者の小出氏や高田琢三氏は私塾を経営していたが,明治6年琢三は自宅を開放して都志小学校を設立,同7年万歳村長林寺に移転明治12年都志村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393346
最終更新日:2009-03-01




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