ケータイ辞書JLogosロゴ 都志宮村(近世)


兵庫県>五色町

江戸期〜明治12年の村名淡路国津名郡のうち淡路島西部,都志川下流域,北は竜宝寺山系地名はかつて都志八幡宮があったことによる南の宮山頂の岩山と巨岩に覆われた要害の地に戦国期の都志城(神竜山神倉城)がある宮山北側中腹は屏風のような岩壁となっており,城跡の西に城主の父の住んだ大殿屋敷の地,さらに西端に出城の役目を果たす城山があった城主は,応仁の乱から約80年間都志与七郎春家,対馬守,九郎兵衛と3代続いたが,文明年間反三好方と戦い討死または,一説に,落城説もある都志廃城後は九郎兵衛次男半兵衛一族が万歳村に定住したという元和元年からは阿波国徳島藩領村高は,「郷帳下書」241石,「天保郷帳」265石余,「旧高旧領」340石余「味地草」では高323石余,家数29津名郡戸数反別取調帳によれば,反別23町余,高320石余,家数29・人数183(五色町史)都志八幡神社は万歳村八幡原から当地に移転,大永5年都志城主が拝殿を上棟(県神社誌)氏子は当村のほか都志本村・米山村・都志浦・万歳村・葛尾村,角川村北方で,一時は別所村・深草村も含まれた同社別当は普門寺,随従門は文化年間高田屋嘉兵衛の日露紛争(ゴローニン事件)解決を記念し,一族が寄進境内には春日社・大歳社・幸神小祠・伊勢社・加茂社・熊野社・弁天祠・薬師堂があるまた,同社の渡御祭には舟檀尻も練り歩く宮山近くに地蔵堂,阿弥陀堂がある城にまつわる殿土居,塚町,弥陀原,天狗腰掛石などの地名がある明治12年都志村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393347
最終更新日:2009-03-01




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