ケータイ辞書JLogosロゴ 土山村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国加古郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」265石余うち田231石余・畑33石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)265石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに486石余。北東部の喜瀬川上流は溜池と山林で,農地は南西部にひろがる。西国街道沿いにあって,姫路藩領の東の口に当たり,一里番所が置かれた。はじめは高畑村・土山村立会で勤めたが,のちには当村だけが役に当たった。一里塚もあった。番所近くと思われる地に下馬池がある。用水は池掛りで,喜瀬川の流水をせきとめた新川池・川池・今池などを利用。鎮守は寺家村の五社大明神社。村内にも分社として五社大明神社があり,高畑村・土山村立会で祀っていた。ほかに薬師堂・観音堂などがある。江戸末期庄屋役も勤めた増田家から,江戸相撲で小結になった繁右衛門が出た。藩主の恩顧篤く手柄山の名を与えられたという。文政12年没で,墓石がある。明治14年の戸数115・人口526,田56町6反余・畑31町4反余・宅地3町7反余・山林8町9反余・林1町1反余(播磨国地種便覧)。同22年平岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393366
最終更新日:2009-03-01




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