ケータイ辞書JLogosロゴ 手末村(近世)


兵庫県>加古川市

江戸期〜明治9年の村名播磨国加古郡のうち曇川中流域の北部に位置する地名の由来は定かではないが,溝手(用水路)の末の意という説がある(石守史談会会報)姫路藩領「播州古城蹟集録」に「手末城手末村城主は不知,別所長治幕下」と記された戦国期の城跡がある村高は,「正保郷帳」595石余うち田388石余・畑187石余・常光寺領20石,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)294石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに467石余で,うち常光寺領20石とある正保年間から元禄年間の間に二塚村を分村明治8年租税収納目録によれば,貢米194石余,定納物として藪税2斗9合・林税11銭2厘・口米5石余・口金3厘神社に福谷神社があり,火事が多かったので火除けのために祀られたものというまた手末城跡に稲荷社がある寺院は赤松政村の墓が残る臨済宗天徳山常光寺寺記によると,永正年間に赤松義村が平原山祥光寺として建立,天正年間の兵火で灰燼に帰したが,そののち復興して慶長6年常光寺に改め,慶安元年に赤松氏の後裔たる南室禅師を姫路の慶雲寺から招き中興開山とし,この時山号を天徳山と改めたという南室禅師は寛文年間に播磨西国三十三か所霊場を定めたが,この寺は入寂地として,29番霊場の次番とされている手末十景として,真常塔・印南月・試境泉・前村砧・片山桜・醒覚楼・曇川雨・三松樹・納涼岡・林螺窟があげられている(加古郡誌)明治9年神野村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393461
最終更新日:2009-03-01




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