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寺内村(近世)


 江戸期~明治22年の村名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7393487]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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寺内村(近世)

 江戸期~明治22年の村名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

寺内村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

寺内村(近世)
江戸期~明治9年頃の村名津軽郡田舎庄のうち津軽半島東南端に位置し,青森平野西側の平坦地にあたる西部に羽白【はじろ】村があるなお,村域は南方の新城村・岡町村にも接したと思われる昭和8年にできた軍用青森飛行場があった場所を寺内野と称し,中世には奥瀬氏の支配地域であったともいわれる(青森市町内盛衰記)弘前藩領村高は,「貞享郷村帳」では寛文4年以降の新田として見え119石余,「貞享4年検地水帳」162石余(田130石余・畑屋敷32石余),「寛保高辻帳」119石余,「天保郷帳」121石余(うち弘前本では天明8年改出新田2石余),「旧高旧領」202石余「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「沢田・池上・野木和(野際)・富田・滝ケ沢」があり,反別は田19町8反余・畑屋敷22町1反余(うち屋敷地2反余),田は上田から下々田まで,畑は中畑から下々畑まで設定されていたこのほかに開発可能地(田畑)16町7反余,池床5か所・1町1反余・草野2町3反余,藪1か所,空地3反余,永荒地(田畑)6反余が見えるなお,池床は野木和堤にあたるが,築造期は不明である元禄3年には油川組に属し,村位は中(平山日記)宝暦9年改の御郡中郷村位付帳でも村位は中とある安永7年の油川組絵図によれば,家数5(油川町誌),明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の「国誌」では,羽白村の記事の中に「旧寺内と云ふ支村本村の一丁東に在りしか何の頃にか廃せりと云ふ」とあり,当村はこの頃すでに廃村状況にあり,羽白村に吸収されていたものと思われるまた,羽白村に見える鶴ケ峰秣場・野際秣場も当村にあった草野と考えることもできる明治7年の県管内村名簿には,当村が一村として見えている同9年頃羽白村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

寺内村(近世)
江戸期~明治20年の村名河内国若江郡のうち長瀬川上流右岸に位置する慶長11年渋川郡久宝寺【きゆうほうじ】村の森本七郎兵衛ら17人が,長瀬川右岸の八尾【やお】の地に開発移住して立村この時,久宝寺御坊顕証寺と対立する慈願寺も当地に移転し,その後浄土真宗大派に属する別院の大信寺御坊を建立この寺院を中心に江戸期は在郷町として栄え,八尾【やお】の中心地であったはじめ大信寺領,延宝年間近江膳所【ぜぜ】藩本多氏領,元禄年間幕府領,寛延年間からは上野沼田藩土岐氏領村高は,河内国輯録によれば628石余(うち新田分7石余),「天保郷帳」では618石余,「旧高旧領」では632石余天保3年の寺内郷高帳(慈願寺文書)には,沼田藩領618石余・大信寺除地10石・慈願寺除地4石などとあり,計632石余となる商業に従事する者が多く,木綿問屋・肥料商などの商家が軒を連ねたという元禄2年の貝原益軒の「南遊紀行」には「八尾町頗ひろく,潤屋多し」と見える当村の八尾郷絵図(京都大学地理学教室所蔵)には,村の出入口には木戸門が設けられ,約300軒の家屋敷地が書かれている鎮守は天神社(現八尾天満宮)寺院は,浄土真宗大派大信寺・観智坊・慈願寺・開成坊,融通念仏宗大念仏寺末西願寺大信寺は,東本願寺門跡の連枝が代々住職をつとめる別院で,同寺建立の教如上人は報恩講で当村に下向の際「八尾川はかけ声さゆる鼓かな」と詠じている(河内名所図会)明治2年河内県庁,同4年堺県出張所,続いて郡役所を設置同9年の人口1,322同14年大阪府に所属同20年八尾町と改称...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

寺内村(近世)
江戸期~明治11年の村名播磨国加西郡のうち加古川支流下里川流域,北条盆地中央部古くは酒見北条郷に属し,北条は播磨三の宮酒見社(現住吉神社)と真言宗泉生山酒見寺の門前町,および交通の要衝としての宿場町・商業町として繁栄したもと豊臣氏蔵入地,天正15年北条村のうち100石が木下家定領(岡山県木下家文書),慶長元年杉原長房(豊岡藩)領慶長5年姫路藩領,元和3年同支藩領,寛永16年幕府領,貞享3年相模国小田原藩領,延享4年からは田安家領村高は,「正保郷帳」359石余うち田308石余・畑50石余,ほかに酒見寺領60石,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)および「天保郷帳」「旧高旧領」ともに419石余北条村は戦国期の荒廃を経て,江戸初期急速に復興し家数も増えたため,慶長年間に寺内村と市場村に分かれたと思われる(三枝家文書)慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)では寺内村と「北条の市場」が書き上げられているまた,慶安元年寺内村から酒見寺領60石をもって西寺内村が分村するなお,西寺内村は当村の一部として扱われることが多い延宝7年検地帳によれば,高376石余うち古検359石余,反別合計28町余うち古検27町余(北条区有文書)延享4年村明細帳によれば,家数113・人数511,高札場は市場村と一緒であった(北条町誌)嘉永5年の年貢取米204石余(横田家文書)幕末には寺内村地内に御幸町の地名が出現してくる明治11年北条町の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

寺内村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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寺内村(近世)
 江戸期~明治11年の村名...

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寺内村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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寺内村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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寺内村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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寺内村(近世)
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