ケータイ辞書JLogosロゴ 寺木村(中世)


兵庫県>温泉町

 平安末期〜鎌倉期に見える村名。但馬国二方郡温泉荘のうち。長寛3年6月日付阿闍梨聖顕寄進状に「但馬国二方郡温泉郷竹田寺木村」とある。当村は竹田村とともに本領主平季盛の私領であったが,保延5年,子息季広に譲与された。季広は両村を僧聖顕に付し,長寛3年6月,聖顕は両村を後白河院の蓮華王院に寄進した。この結果,国衙領温泉郷は荘園化され,当村はその中核を占めた。貞応2年正月5日付大法師懐暹譲状では「但馬国二方郡温泉郷寺木竹田村」と見え,僧懐暹から大蔵卿律師に譲られている(高山寺文書/平遺3351・鎌遺3041)。村内には公文が置かれた。弘安8年の但馬国大田文の温泉荘の項によれば,「寺木公文」には八木七郎入道が任じられ,給田1町が与えられたという。下って,戦国期には永正11年12月19日付温泉荘寺木村名田写があり,増福名・光留名など少なくとも32名が村内にあったことが知られる(東大史料編纂所架蔵影写本/温泉町史資料集1)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393500
最終更新日:2009-03-01




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