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- 東条(中世)とは
「東条(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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東条(中世) 鎌倉期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東条(中世) 鎌倉期に見える地名伯耆【ほうき】国日野郡のうち文永9年12月12日の将軍(惟康親王)家下知状案(備中平川家文書/鎌遺11157)に,亡父日野八郎重長の遺領を刑部乙丸に領知させよとあり,その遺領の1つとして「伯耆国日野東条内河井村」が見えるほかに関連史料がなく,その具体的な内容については明らかでないが,中世においては開発などに伴う区画単位を「―条」と呼ぶことがしばしば見られ,ここにいう「日野東条」も平安期の日野郷が開発などの進展をふまえていくつかに分割され,その1つが「日野東条」と呼ばれたのではないかと推定される現在の日野郡内のどこか(日野町か)であろうと思われる東条に対応するものとして予測される「日野西条」は史料上に認めることができない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東条(中世) 戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
東条(中世) 戦国期に見える地名越智【おち】郡のうち天正12年12月21日の村上源八郎宛の河野通直知行安堵状(萩藩閥閲録23)によると,河野通直が村上源八郎(景親)に「府中東条分」を安堵しているしかし,ほかに関連史料はなく,現在比定地は不詳なお「別宮系図」によると,別宮吉則の孫長綱の女は東条紀太郎大夫義基の嫂という... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」