ケータイ辞書JLogosロゴ 殿原(中世)


兵庫県>加西市

 戦国期に見える地名。播磨国加西郡在田荘のうち。在田荘の中枢地で,もと野崎村と称したという(加西郡誌)。満久藤次あての年未詳9月18日付在田元長感状に,「今度七日,於芥田表之合戦之刻,於殿原口,以鉄砲,武者一人射捕之条,忠節之至候」とある(内藤文書)。在田氏は赤松氏の庶流で,在田荘に発祥した。南殿原(加西市笹倉町)には城主を在田氏と伝承する殿原城址がある。美嚢【みなぎ】郡から出た旗本石野氏の江戸期の家伝によれば,石野氏貞が別所氏に仕えて,「永禄八年播磨国有田合戦のとき矢にあたりて死す」という(石野系図/寛政譜)。これが芥田表の合戦に符合するとはいえないが,永禄年間頃から別所氏の在田氏攻撃が始まっていることがうかがえる。芥田は在田荘内の山間の地であり,ここを越えれば当時の在田氏の本拠地多可郡野間谷へ西方から侵入できる。加西市殿原町の殿原廃寺は,大智度論奥書に見える天平6年の播磨既多寺(石山寺旧蔵文書など)と推定されている。この寺域である国府【こう】寺の寺名は,殿原に賀茂郡の郡衙があったことを暗示している。天正18年7月23日の水配分定書によると,殿原村と中富村の間で井水について争いとなり,殿原村へ2日2夜,中富村へ1日1夜ずつ水を引くことが定められている(中田文書)。その後も,文禄4年7月には殿原村と笹倉村の間で井水の相論が起きている(長浜文書)。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393731
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ