ケータイ辞書JLogosロゴ 長砂村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。加古郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」696石余うち田566石余・畑128石余・円長寺領1石,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)696石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに902石余。寺院は,天正9年開創の真宗天林山宜能寺,応永年間開創という浄土宗紫雲山西方寺,保元年間開創と伝える聖陵山円長寺があり,円長寺は聖徳太子が追われ隠れた所という(播磨鑑)。印南野台地は水利が不便で水争いがよく起きたため,延宝4年寺家町の中谷与三左衛門宗久は藩の許可を得て北野村に花園池と狐池を築き,今まで浅かった当村の前の池と北野村の白池を埋立て新田とした(加古川市誌1)。明治5年至善小学校が開校したが,同6年野口小学校に統合。同15年の播磨国地種便覧によると,田66町7反・畑19町3反・宅地4町3反,戸数109・人口516。同22年野口村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7393995
最終更新日:2009-03-01




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