ケータイ辞書JLogosロゴ 中野村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。加古郡のうち。慶長播磨国絵図(天理図書館蔵)には西中野村と見える。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」628石余うち田612石余・畑15石余,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)628石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに785石余。鎮守は大歳神社・地神社。大歳神社の祭礼のあと的射を行っていたが,今は廃絶している。寺院は曹洞宗昌福寺があり,「加古郡誌」には寛政年間創始とあるが,同寺の過去帳には文明10年心門忠公座元が開基とある。ほかに地蔵堂。寛政元年以来の坪入控が残り,稲の出来具合・品種・雨量・日照・虫風害・収穫などが記されている。天保5年の五人組帳では人数728。明治5年中能小学校設置,同17年景範小学校と合併。明治14年の戸数70・人口349,田58町6反余・畑2反余・宅地2町5反,山林・林はない(播磨国地種便覧)。同22年平岡村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394063
最終更新日:2009-03-01




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