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中郷(中世) 鎌倉期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 鎌倉期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 平安末期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 南北朝期から見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 鎌倉期から見える郷名遠江【とおとうみ】国浜名郡のうち猪鼻湖北岸に位置する地名は,浜名神戸の中心であることによるという(浜名史論)文永8年5月25日の伊勢神宮祭主下文(公文抄)に,「遠江国浜名神戸中郷刀禰並御神酒鎰取高屋弘近雑怠替職」とあるのが初見本宮神主小長谷光が,高屋弘近に替わって当郷刀禰並御神酒鎰取に補任されているついで,鎌倉末期のものと推定される大福寺諸堂建造記(大福寺文書/県史料5)に,正応2年の本堂柱立に加わった鍛冶として当郷の惣大夫の名が見えるまた,寛正2年に上棟した大福寺不動堂の建立記(同前)により,当郷住の賀茂殿が同寺不動堂建立のため銭300文を寄進したことが知られる文明14年6月の浜名神戸検畠日記(神宮文庫本宮司吉書/浜名史論)によれば,当郷の畠地は6町であったまた,天文17年8月の大福寺領田地注文(大福寺文書/県史料5)によれば当郷の同寺領田地は4町余であった天正18年12月26日には,豊臣秀吉が神明宮と金剛寺に郷内津々崎の地を寄進している当地は慶長14年に三ケ日【みつかび】と改称された(浜名史論)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 鎌倉期に見える郷名筑後国三潴【みずま】郡のうち永仁4年12月の玉垂宮大善寺仏神事注文写(隈文書/鎌遺19238)に「廻廊畳八十帖内支配事……十六帖東郷村庄地頭名主役〈但夜明村除之〉廿四帖西郷村同前十帖中郷村同前」「廻廊四十間内支配事 八間東郷村庄地頭名主役〈但夜明村除之〉十二間西郷村同前 五間中郷村同前」と見える三潴荘鎮守玉垂宮の廻廊畳80帖のうち10帖,廻廊40間のうち5間が中郷村在住の地頭名主役として課せられている事を示している中郷村は中郷に属する村々の意味で,三潴郡内を東・西・南・中4郷に区分していたようであるこれらの郷名は他の史料には見えないので,玉垂宮神役勤仕のための便宜的な呼称であろう東郷と西郷の間の郷と解されるが所属する村名については記す所がないただ,江上・大依・高津3村は,同文書に東郷とも西郷とも記されており,両郷の中間に位置しあるいは中郷に属したのかもしれないそうだとすれば現在の城島町の一部が中郷に属していたことになるが,具体的な比定地については未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 戦国期に見える郷名尾張国春日部郡のうち文明9年から天文22年までの円福寺寄進田帳(円福寺文書/春日井市史資料編)に,寄進田の公方年貢などを中郷(中政所・中郷代官とも記す)へ納めることが記されており,その寄進田の坪付として松口,マムシツカナハテ,平河,出川(現春日井市出川町),足振島(同市気噴町),嶋之後河之ソハ,大留権内田(同市大留町),こうれん(同市気噴町),本荒井山ソハ,三位田などがあるまた,文明6年以前から天正7年までの定光寺祠堂帳には,中郷の地名として馬場添,小路,紺屋垣,羽称がある(定光寺文書/定光寺誌)上郷・下郷の比定可能な地名とあわせて考えるならば,内津川左岸上流から庄内川との合流点へ順に上郷・中郷・下郷と呼ばれていたと推定できるただし,付近には水野中郷も存在しており,史料に見える「中郷」が全て内津川左岸を指すかは未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 鎌倉期~室町期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 戦国期に見える地名伯耆【ほうき】国会見【あいみ】郡蚊屋荘のうち天正19年12月20日伊勢大神宮神田注文(蚊屋島神社文書/県史2)に,神田の所在地として「〈中郷分九反田内水江〉田三反事」「〈九反田の内中郷分〉田畠半十歩」「〈中郷分田の内ナリ〉畠半七十歩」などと見える下郷に対応する地名で,旧巌村のうちと推定されるが,今その所在を明らかにすることはできない... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 鎌倉期に見える郷名尾張国中島郡のうち弘安7年閏4月晦日,浄胤は中島郡賀野御厨土取郷内の荒野1町2段を性海寺へ寄進したが,その四至に「限南中郷」と見える(性海寺文書/稲沢市史資料編7)現在の尾西市内に比定されるなお,戦国期の「信雄分限帳」に「一,百五拾貫文〈中郷内〉岩室十蔵」「一,百五拾貫文〈中郷内〉入谷甚八郎」と見えるが,当郷との関係は未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中郷(中世) 室町期に見える郷名安積【あさか】郡のうち室町期頃と推定される安積南郷北郷田地注文(相殿八幡神社文書/県史7)に「中郷」のうちとして河内・大槻・中谷田・松井・富田・上大島・下大島・窪田・郡山・中村・福原・舟津・八俣など13か村89町5反の田地が記載されている中通り中部,現在の郡山市大槻町・富田町を中心とするあたり一帯に比定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」