ケータイ辞書JLogosロゴ 中山村(近世)


兵庫県>佐用町

 江戸期〜明治22年の村名。美作国吉野郡のうち。もと宇喜多氏領。慶長8年美作国津山藩領,元禄10年幕府領,慶応元年からは明石藩領。村高は,享保2年の美作鬢鏡,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに177石余。「東作誌」によれば,高177石余,家数29・人数122。宮本武蔵は峠を越えた宮本(現岡山県)の地に生まれ,乳母は当地の人であったという。氏神は瑞籬神社。当地は因幡街道筋にあたる。峠の頂上近くに泣きの清水といわれる清水の湧く井戸があり,そこの集落を釜坂という。明治9年岡山県に所属。同22年讃甘村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394221
最終更新日:2009-03-01




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