ケータイ辞書JLogosロゴ 波田村(近世)


兵庫県>三田市

江戸期〜明治7年の村名摂津国有馬郡のうち並田とも書き,「ナビタ」とも称する武庫【むこ】川上流域はじめ三田【さんだ】藩領,慶長7年丹波国福知山藩領,元和6年幕府領,寛永3年からは再び三田藩領村高は,「摂津高改帳」111石余,「正保郷帳」220石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに243石余当村には和算の大家下家地市右衛門(市左衛門)が住んでいた彼は武田流と関流の和算を究め,武田真元の四天王と称せられていた彼の業績はほとんど不明で,わずかに「播州清水寺奉納額六ケ条解義」の写や藍本庄村酒垂神社の奉額が残るのみである門人には大坂における三大数学家といわれた麻田藩の岩田七平などがいる(三田市史)寺院は,波田山大師堂本堂に弘法大師の石像があり,山をめぐって88個の地蔵が祀ってある信仰者は数多く,特に3月・7月・11月は境内は人であふれるばかりという(同前)明治7年藍本村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394299
最終更新日:2009-03-01




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