ケータイ辞書JLogosロゴ 西(近代)


兵庫県>五色町

 大正12年〜現在の大字名。はじめ鮎原村の大字,昭和31年からは鮎原を冠称して五色町の大字。もとは鮎原村神陽の一部。小林六太夫座は分家の菊五郎が座元となり,明治18年には東京にも進出,災難にあい,5年後に帰郷,同23年から徳島で活躍中再度の災難で苦境に陥ったが,再度再興をはかり,同43年に入り復興をみた。昭和9年以降は中川原村の中野篤一郎により設立された人形芸術復興協会に売り渡され,同33年まで存続した。昭和11年の耕作地28町余,農家のうち1町以上4戸,5反以下24戸,同23年の戸数78・人口364(鮎原村誌)。昭和20年3月13日夜90機のB29が大阪爆撃にむかう途中当地に油脂焼夷弾を投下。この爆撃により1軒全焼,3軒は長屋を残し全焼。戦時中淡路島で民家が爆撃にあったのはこの時が最初で最後である。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394372
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ