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「西田井」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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![]() | 西田井村(中世) 鎌倉期~戦国期に見える村名丹波国多紀郡のうち永仁3年3月8日の大山荘地頭中沢基員分田坪付注文に「西田井村内田捌町柒段伍代畠弐町」と見え(東寺文書/大山村史史料編),西田井村はその四至により,北は宮田荘と堺を接し,東は河を限っていた地域で,現在の篠山市東河地・明野周辺地域に比定される永仁3年大山荘は東寺と地頭中沢基員の間で下地中分され,その後東寺は,領家方の田地についてのみ宮田荘の用水を受ける交渉をして,徳治3年5月28日に一応契約が成立した(同前)この成立過程に作成された大山荘用水差図が現存し,当村が領家方として見える(東寺百合文書/日本荘園絵図集成下)当村は段丘崖の末端部で,近くに宮田川が流れていても利用できない地形で,早くから干害に悩まされていた仁治2年5月大山荘が地頭請となった時,地頭代正仏は「西田井村荒廃分所当者,打開者,可致沙汰」と記している(東寺文書/大山村史史料編)応永13年12月に代官宗頼が「西田井方かねて申入候しことく,さんさんのしたいニ候之間,損亡の事申候」と述べ,同22年9月6日大山荘市井谷の百姓らは「西田井方御下地事ハ,一りう(粒)も御年貢沙汰可申候やうも候ハす候」と述べている(同前)ついに,永享8年11月10日の大山荘一井谷百姓等申状に「西田井事,是又皆荒にて,御下地に主もなく候」とあり,この年に当村百姓らの集団的捨田,村落放棄が行われている(同前)その後,文安元年に当村は上町・中町・下町・池田・河原田からなる5つの区画に分けられて村として再興された(同前)これは当時の丹波国守護代内藤氏の被官で近郷の土豪高畠氏によって開墾されたものであったしかし,応仁の乱を経過するうちに再び荒廃し,西田井という村の名称を近世にも残さなかった |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西田井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西田井村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西田井地村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西田井地【にしたいじ】 児島半島東部に位置し,北方に東光寺山がそびえる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 西田井(近代) 明治22年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 西田井【にしたい】 紀ノ川下流右岸氾濫原の自然堤防上に位置し,南部を鴨居川が南西に流れる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 西田井【にしだい】 西台とも書く... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 西田井【にしだい】 加古川支流杉原川左岸に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 西田井【にしたい】 (中世)戦国期に見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」