ケータイ辞書JLogosロゴ 西山村(近世)


兵庫県>千種町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国宍粟【しそう】郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,元和元年山崎藩領,慶安2年幕府領,以後延享元年〜同3年出羽国山形藩領,宝暦2〜13年上野国高崎藩領,明和6年〜文政11年尼崎藩領となったほかは幕府領。村高は,「正保郷帳」478石余うち田409石余・畑68石余,延宝検地帳および「天保郷帳」「旧高旧領」ともに486石余。延宝検地帳では総反別37町。天保10年宗門人別改帳によれば,家数58・人数237,牛20・馬3。地内紙屋という小字は,隣村室の西方寺にある享保14年建立宝篋印塔に銘を残す紙屋助左衛門にちなむ。助左衛門は紙漉で巨万の富を築いたという(千種村誌)。鎮守は大仙神社と天満神社。寺は真言宗文珠山仙光寺と真宗竜泉山教福寺。教福寺境内にあるオハツキイチョウの実は妊婦のお産を軽くするとか,心臓によいといわれる。明治22年千種村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394671
最終更新日:2009-03-01




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