ケータイ辞書JLogosロゴ 西脇村(近世)


兵庫県>加美町

 江戸期〜明治11年の村名。播磨国多可郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長5年姫路藩領,寛永16年からは幕府領。村高は,「正保郷帳」356石余うち田312石余・畑43石余,延宝検地帳258石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに265石余。元文5年の年貢割付(加美町史)では年貢は122石余,文化5年の御城米滝野高砂出明細(藤賀家文書/加美町史)では111石余。延宝検地帳によれば,反別田13町4反余・畑4町9反余・屋敷5反余,名請人22,小物成は山手銀38匁・藪役銀7匁。明和9年の村明細帳では,家数37・人数158。慶応4年の書上帳(加美町史)によれば,高264石余うち田226石余・畑38石余,家数46・人数203,牛24。杉原川の氾濫による荒損があり,嘉永4年には水損による手余荒地2町5反余があった。また,この時鍬下年季明け1町5反余について鍬下年季5年の延期を申し出ている(加美町史)。寺院は,法道仙人開基と伝える真言宗石士山西光寺。往古は山麓一帯に5院12坊があったというが,延宝検地帳によれば,境内5町歩,本堂(観音堂)・権現堂・弥勒堂・阿弥陀堂・金剛院・妙法院・鐘楼・仁王門・大蔵堂を記す。なお大蔵堂はのち大蔵神社となる。古来の鎮守は的場の荒田神社。明治11年福原村の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394698
最終更新日:2009-03-01




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