ケータイ辞書JLogosロゴ 野添村(近世)


兵庫県>播磨町

 江戸期〜明治22年の村名。加古郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」では793石余うち田676石余・畑81石余,無量寿院・西光坊を合せて35石,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに1,054石余。寛延3年の村明細帳では,高961石余。嘉永2年村高961石余,人数913(大歳家文書)。地内には多くの溜池があり,寛延3年当時にはその数17,のち2つが築造されている。ほかに淵・堀と呼ばれる水溜も多い。農作物は米・麦のほか綿・煙草・粟・稗・大豆など。農間期には酒・素麺作りの出稼ぎに行き,のち素麺の生産を開始した。真言宗無量寿院は寺領30石,末寺53を有し,中本山格で談義所であった。ほかに寺院は同宗慈眼寺(寺領5石)・円満寺・東円寺,曹洞宗海光寺。のち慈眼寺・東円寺・海光寺は廃寺。神社は住吉神社で,中世以前の創立と伝える。明治15年の戸数159・人口644(播磨国地種便覧)。同21年山陽鉄道(現山陽本線)が開通し,地内東北端に土山駅ができた。同22年阿閇【あえ】村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394826
最終更新日:2009-03-01




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