ケータイ辞書JLogosロゴ 野中荘(中世)


兵庫県>篠山市

 室町期〜戦国期に見える荘園名。丹波国多紀郡のうち。当荘は,もとは法金剛院領三箇南荘の荘域内であったという(丹波の荘園)。文安2年正月14日の内藤之貞願文に「之貞知行分丹州多紀郡野中内藤田名下地参段,限永代令寄附畢」と見え,細川持之の代官内藤之貞は,丹波国の軍勢を率いて播磨に出陣し,武運長久を祈って自己の知行分である野中のうち藤田名の下地3反を清水寺に寄進している(清水寺文書)。長禄2年10月17日領主は不明であるが,幕府は「野中保」に「要脚丹州段銭」を賦課している(久下文書)。「親長卿記」文明2年12月24日条に「新御料所事,〈丹波国野中荘・大沢荘〉少分〈四十疋〉進納不可然,堅可被仰付之由,同有仰〈被仰管領右京大夫也〉」と見え,新御料所の野中荘と大沢荘が,年貢を40疋(400文)しか納めなかったので,後土御門天皇は管領細川勝元に年貢納入を督促している(大成)。明応9年12月14日幕府は「丹波野中村」を松尾社御師東相郷に還付しているが(松尾神社文書),この野中村が野中荘の地を指すのかは未詳。戦国期の渋谷善左衛門の館跡や,古代寺院の竜円寺跡がある。現在の篠山市野中・小枕・池上付近に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7394863
最終更新日:2009-03-01




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