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「橋爪村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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橋爪村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治10年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期の村名神埼【かんざき】郡のうち橋詰村,橋詰ケ里とも書く筑後川の支流田手川中流域に位置する「宝暦郷村帳」「天明郷村帳」ともに1村として見える「天明村々目録」「天保郷帳」「旧高旧領」には村名が見えず,村高は不明「大小配分石高帳」では鍋島山城が地米高240石余を知行する慶長15年佐賀本藩主鍋島勝茂は代官小山平五左衛門尉に当村のうち225石余を代官給として与えている(小山家文書)江戸後期の神埼郡中郷橋爪ケ里図によれば,箱川村のうちに含まれ,西は神埼道を挟んで伊保戸【いほど】村に接する神埼道東側の三十一坪内に浄土宗鎮西派摂取山九品院光明寺があり,ほかに天台宗明福院と家数15軒が同坪内にあるまた周辺の二十九坪・三十坪・三十二坪には,蔵入地のほか伊保戸村の曹洞宗東輝山妙雲寺(現明雲寺)の寺領が見える「神埼郡村誌」は箱川村のうちとし,光明寺の所在地として橋詰ケ里の地名を記す「明治7年取調帳」では箱川村の枝村として見える... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋爪村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国直入【なおいり】郡朽網【くたみ】郷のうち岡藩領久住【くじゆう】高原北東部,大船【たいせん】山南東麓の冷川【ひやかわ】左岸に位置するはじめ栢木【かやぎ】組千石庄屋,のち同組大庄屋に属した貞享2年の村高は61石余,村位は中(農民一揆)「旧高旧領」も同高明治4年大分県に所属同8年老野【おいの】村ほか8か村とともに栢木村に合併現在の直入郡久住町大字栢木のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」