- JLogos検索辞書>
- 橋本町(近世)とは
「橋本町(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
橋本町(近世) 江戸期の町名山城国久世【くぜ】郡宇治郷のうち宇治橋西詰から西南に向かう奈良街道沿いの両側に広がる町町名は宇治橋の橋本(元)を意味するもので,東は宇治川,西は新町,南は鷺橋町に接し,北は茶園が展開するところであった江戸期には,北方に江戸幕府御用茶壺を納める御茶壺蔵があり,奈良街道の北側に上林味卜・上林峯順・上林三入・上林竹庵(又兵衛),南側には上林平入・辻善徳・上林道庵・星野道斎・上林春松ら宇治茶業界の頂点に位置する有力茶師が軒を連ねた町であるなかでも上林峯順・上林竹庵の両家は,幕府代官をつとめて宇治郷および近在諸村を支配し,宇治茶業界を統率する茶師頭取を兼務していたため,当町は宇治郷の中枢ともいえる行政的中心となっていた承応3年の板倉重宗触状請書には,星野道斎・上林三入・辻善徳・上林道庵の4名が町代として連署しているほか,上林味卜・上林平入・上林春松の3名は請書連署の筆頭にその名を記しており,この3家が郷総代とも考えられる郷中の別格的存在であったことを示唆している(京都大学所蔵上林文書)宇治橋畔にあたる町域東端の北側に橋の守護神橋姫神社があったしかしその付近は洪水のたびに被災するところで,神社や隣接の高札場,上林味卜邸などはしばしば流失し,上林三入・上林道庵邸なども再三浸水の憂き目をみた(宇治市役所所蔵文書など)そのため橋姫神社は,明治維新後まもなく宇治蓮華(旧鷺橋町域)の現在地に遷座された町名は明治維新後に廃され,その後通称として慣用されている |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
橋本町(近世) 江戸期の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」