ケータイ辞書JLogosロゴ 畑荘(中世)


兵庫県>篠山市

 南北朝期〜戦国期に見える荘園名。丹波国多紀郡のうち。当荘は元来多紀荘内にあり,鎌倉期に多紀荘が南北2荘に分解したのちは,多紀北荘の地域に含まれ,九条家が知行していた。そののち南北朝期の貞治2年7月19日の記録に「自畑飛脚到来……当国守護仁木兵部大輔……所望当荘」と見え(後愚昧記/大日料6-25),丹波守護仁木義尹が半済を村上帯刀に宛行ったので,領家三条公忠が幕府に請い停止せしめている。しかし応永15年9月足利義持は当荘を丹波守護細川満元の弟満国に宛行っているので(細川文書/大日料7-10),この頃室町将軍家の御料地となった。満国が28歳で死去するや,子持春が父の菩提を弔うため,奥畑に惟忠守勤を吹田の護国寺より招いて,嘉吉3年より3か年をかけて神護山太寧寺を開創した(太寧寺文書)。当荘には南北朝期より武蔵府中出身の畑一族が移住し,次第に勢力を強め,細川氏や波多野氏の被官となって土豪化した。文明17年4月日の室町幕府奉行人連署奉書によると大芋【おくも】荘名主らが年貢を拘置して逃散したのを還住せしめている(土佐文書)。篠山市畑宮・奥畑・今谷・火打岩【ひうちわん】・丸山・瀬利・菅・大渕・和田・般若寺・大上の地域に比定される。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395016
最終更新日:2009-03-01




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