ケータイ辞書JLogosロゴ 畑枝村(近世)


兵庫県>吉川町

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国美嚢【みなぎ】郡のうち。慶長5年姫路藩領,元和3年明石藩領,延宝7年幕府領,元禄14年旗本曽根氏知行,宝永7年同久留氏知行,幕府領を経て,安永年間からは再び久留氏知行。村高は,「正保郷帳」217石余うち田204石余・畑12石余,「天保郷帳」「旧高旧領」でもともに217石余。慶長6年検地の時の反別は田11町3反余・畑1町6反余。寛文元年・明和8年にそれぞれ奥池掛井堰をめぐって上荒川村・福井村などと水論を起こしている(吉川町誌)。神社は山神神社。明治6年もと大庄屋の松原宅を利用して国光小学校開校。同13年頃の地租改正反別は田15町余・畑8反余・宅地1町1反余・山林原野71町4反余(吉川町誌)。同22年北谷村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395041
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ