ケータイ辞書JLogosロゴ 幡尻村(近世)


兵庫県>三田市

江戸期〜明治7年の村名摂津国有馬郡のうちもと野々倉上村の一部,同村から分村して成立なお,分村は江戸初期と思われるが,不詳武庫【むこ】川上流域左岸三田【さんだ】藩領村高は,「正保郷帳」によれば播尾(幡尻)村として116石余,「天保郷帳」では「野々倉」と肩書きされて128石余なお,「旧高旧領」では野々倉上村689石余となっており,大音所村・須磨田村とともに同村に含められているまた,慶長10年の摂津国絵図(西宮市立図書館所蔵)によればスマタ村・多城村・畑村として450石余が書き上げられ,畑村は当村を指すものと思われる鎮守は,大音所村の駒宇佐八幡神社寺院は,天台宗永明山金剛寺同寺は本庄村で最古の寺院というが現存しない(三田市史)明治7年上本庄村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395047
最終更新日:2009-03-01




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