ケータイ辞書JLogosロゴ 浜谷村(近世)


兵庫県>篠山市

江戸期の村名丹波国多紀郡のうち篠山【ささやま】盆地の北部,篠山川の北方,盃ケ岳の南麓一帯に位置する地名の由来は,往古篠山盆地が湖であった頃に浜で,南方への傾斜地の谷の意であろう盃ケ岳は戦国期八上城主波多野氏の部将畑掃門・豊後・伊織が拠った城跡で,西方防備の連絡の拠点として狼烟山といわれるふもとに土豪藤井正次の館址があるもと豊臣氏蔵入地慶長7年八上藩領,同13年からは篠山藩領村高は,慶長13年丹波多紀郡桑田津之国帳259石余,「丹波国郷帳」299石余うち田278石余・畑20石余,承応2年の新検地後は417石余,「天保郷帳」425石余「天保郷帳」では当村一村として見えるが,篠山藩領内では享保年間に東浜谷・西浜谷の2か村に分かれていた
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395137
最終更新日:2009-03-01




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