ケータイ辞書JLogosロゴ 東阿弥陀村(近世)


兵庫県>高砂市

江戸期〜明治9年の村名播磨国印南【いなみ】郡のうち松村川上流域,山陽道沿い姫路藩領村高は,「正保郷帳」713石余うち田631石余・畑82石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに975石余なお,「天保郷帳」には当村枝郷に北山新村・長尾新村があり,江戸末期までに各々分村用水は北部丘陵山麓の竿池・弟池などの溜池作間渡世として陸塩売があり,藩から鑑札を受け運上銀を上納,浜手の村々で生産される塩を陸路馬に乗せ北播磨・丹波・但馬方面に売りさばいた加古川舟運による塩の大量輸送が可能になると,丹波地方でも塩の市が立ち,塩の価格が暴落このため営業が成り立たなくなったとして,当村と西阿弥陀村の陸売塩商人たちは,享保14年藩主に訴え,塩船に運上銀を掛けさせ,価格の安定を図った(近世の高砂)同16年加古川村に塩座会所を設置この時,加古川上流の他領の船持・百姓らが談合,大坂番所に運上銀停止を訴えたが,塩座側が勝訴享保14年の陸塩商人108人,庄屋三郎左衛門(加古川市誌)寺院は真宗大谷派光明寺明治9年阿弥陀村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395290
最終更新日:2009-03-01




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