ケータイ辞書JLogosロゴ 東本庄村(近世)


兵庫県>播磨町

江戸期〜明治9年の村名播磨国加古郡のうち播磨灘に面する寛文10年頃本庄村が西本庄村と当村に分村して成立(西本庄村庄屋文書)姫路藩領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに559石余嘉永2年の高533石余,人数1,587,漁船115,商船17,魚問屋運上金30両・漁師運上金2両(大歳家文書)浦方水主役は宝暦12年までは10人3分半,同13年以降は11人8分,浦方水主米は13石余田地は西本庄村と入り組み,検地帳も両村で1冊となっていた住吉神社領10石も5石ずつ両村で分け,同社の祭祀は立合いで行った(宝暦7年西本庄村明細帳)地内の寺院には真言宗金泉寺・玉泉坊(無住)がある(大歳家文書)用水溜池は向ケ池男は耕作をするほか,大坂・御影などの廻船水主となった明治9年本庄村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395443
最終更新日:2009-03-01




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