ケータイ辞書JLogosロゴ 蟾原荘(中世)


兵庫県>波賀町

 平安末期に見える荘園名。播磨国宍粟【しさわ】郡のうち。宝永5年の「播州宍粟郡誌」にみえる引原荘にあたり,揖保川の源流の1つ,引原川の上流域一帯,現在の波賀町北部を占める地域に成立した荘園。保元3年12月3日付の官宣旨に,石清水八幡宮の宿院,極楽寺領として,「播磨国 蟾原荘・松原荘・赤穂荘」と見える。この文書によれば,代々の別当・院主が恣意に妻子眷族へ荘園を譲渡したため,所領が八幡宮の支配から離れていく傾向が強くなった。これに歯止めをかけるべく,法印勝清が官宣旨を乞うたようである(石清水文書1/大日古)。元暦2年正月9日付の源頼朝下文には,八幡宮領の荘園の一つとして魚吹蟾原別宮を挙げ,「右,伴庄々者八幡宮寺往古神領也。而近年之間,依平家追討,守護武士等,或猥抑留御年貢,或宛催兵粮米」とある(同前)。官宣旨においても八幡宮領であった魚吹別宮と一括されているが,当荘でも武士による蚕食が行われていたものであろう。南隣の伯可荘も11世紀はじめまでに石清水八幡宮領になっていたが,上記の官宣旨や頼朝下文には見られない。両荘の関連については未詳。その後の伝領についても明らかではない。なお,文正元年10月5日の広峰社本所知行分所務注文に「引原分両度一貫文」と見え(八坂神社文書/姫路市史史料編1),引原はあるいは引原荘(蟾原荘)を指すものかと思われるが,不詳。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395487
最終更新日:2009-03-01




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