- JLogos検索辞書>
- 平松村(近世)とは
「平松村(近世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- amazon商品リンク
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期の村名神埼【かんざき】郡のうち平松山村ともいう背振山地,背振山西部の高瀬川上流域に位置する佐賀本藩領奥山内に属す村高は,「正保国絵図」「天明村々目録」ともに95石余,「天保郷帳」では103石余,「旧高旧領」には見えない「宝暦郷村帳」では小村に借納座村,「天明郷村帳」では小村に釈御座村がある江戸後期の「神埼奥山内図」には平松村に19,釈ノ御座村に14,うどの谷寄りに4の人家があり,頭野峠より本村を経て井手野村・三瀬山村に至る筑前飯場ノ山道が見える嘉禄2年藤瀬左馬助が創建したと伝える七郎神社は,山内では「七郎さん」と親しまれ,神功皇后の三韓出兵にお供した若者とか,稚武王や十城別王の配下となって戦った山内各集落7名ずつの若者を守護神とした言い伝えがある境内には板碑の子安観世音菩薩があり,拝殿の鰐口には寛文9年藤原朝臣景光源右衛門の銘がある観音堂は背振山天台宗の末寺で,のち玉林寺(現佐賀郡大和町)の末寺となった玉泉寺の廃寺跡といわれ,文化5年豆田和左エ門施主の六地蔵2基がある「明治7年取調帳」では藤原村の枝村に見え,「郷村区別帳」では上藤原山の枝村に見える「明治11年戸口帳」によれば,藤原山のうちに「平松分」と見え,戸数30・人口133... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 平松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」