ケータイ辞書JLogosロゴ 藤坂荘(中世)


兵庫県>篠山市

 鎌倉期〜南北朝期に見える荘園名。丹波国多紀郡のうち。嘉元3年4月と考えられる摂籙渡荘目録に「豊藤 藤坂庄 田七町九段四十代〈所当仮令十六,七石歟〉」と見え(九条家文書/鎌遺22196),また南北朝期の暦応5年正月日の摂籙渡荘目録にも「阿波左衛門尉致秀拝領之,但上表云々 藤坂庄 田七町九段四十代〈所当十六石許歟〉」と見える(同前/南北朝遺1746)。なお,当荘は安貞2年6月と考えられる某書状に見える摂関家領「五箇庄」の1つと考えられる。この五箇荘は草山・細見・兎原・梅田・藤坂の各荘を総称したものであろう(民経記寛喜3年5月巻裏文/鎌遺3760)。現在の篠山町藤坂付近に比定される。なお,北条家時の末裔といわれる上村氏が建立した真如寺とその鎮守妙見堂があり,応永年間の大般若経奉読の板が現存する。また,明徳年間に脇屋義治が土着し,中馬城を本拠にしたという。さらに,明智光秀が丹波経略の際に付近の土豪らを督励して築いた付城址が八ケ尾に残る。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395902
最終更新日:2009-03-01




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