ケータイ辞書JLogosロゴ 布施荘(中世)


兵庫県>龍野市

 平安末期〜鎌倉期に見える荘園名。播磨国揖西【いつさい】郡のうち。建久8年4月30日の官宣旨に「穀倉院領当国小犬丸保事,在管揖西郡布施郷内」と見える(続左丞抄)。これによれば,応保年間に平頼盛によって布施郷が立荘されて布施荘となった。ところが布施郷内には早くから穀倉院領の小犬丸保があり,頼盛が小犬丸保の山林畠地を布施荘に取り込んでしまったので穀倉院別当の中原師元は抗議をするが,平氏の権勢を恐れてそのままの状態が続いた。平家没落後頼盛の荘園は源頼朝によって没収されるが,頼朝が平治の乱で殺されるのを頼盛の母池禅尼によって助命されたのに報いるため,頼盛だけは許されて,寿永3年4月6日布施荘を含む16か荘が返付された(久我家文書1)。嘉元4年6月12日の昭慶門院御領目録には「庁分」として「南〈布歟〉施庄」と見える(竹内文平氏所蔵文書/鎌遺22661)。これ以後は,荘園として見えない。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7395915
最終更新日:2009-03-01




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