ケータイ辞書JLogosロゴ 別府村(近世)


兵庫県>加古川市

 江戸期〜明治22年の村名。播磨国加古郡のうち。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」741石余うち田701石余・畑33石余・宝蔵寺領7石,「元禄郷帳」(竜野市立図書館蔵)741石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに990石余。集落は海岸線近くの微高地上に塊村をなして立地し,後背地に農地がある。別府川河口よりややさかのぼった住吉神社北側に船溜りがあり,字東所には漁民がいたというが,半農半漁と考えられる。別府港は近隣の村の年貢米積出港であった。用水は明暦2年に引かれた新井用水を利用する井掛りで,一色村の三つ池に引かれたものを用いた。漁業の詳細は不明だが,タコが名産であったという。鎮守は住吉神社。寺院は真言宗光明山宝蔵寺,浄土真宗海上山教照寺。住吉神社境内にある手枕松は名松として知られる。当村出身の滝瓢水は俳諧師として知られ,千石船7艘を持つ程の富豪であったが,落魄しその奇行でも有名(続近世畸人伝)。瓢水の筆塚が宝蔵寺にある。嘉永年間〜明治初期に田中玄仲という医者が読書塾を開いていた。明治6年葵浦小学校開校,明治9年新野辺【しのべ】・別府・西脇の3村を校区とする響灘小学校が置かれる。明治14年の戸数285・人口1,242,田87町余・畑5町4反余・宅地8町3反余(播磨国地種便覧)。同22年別府村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396074
最終更新日:2009-03-01




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