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細川荘(中世)


 鎌倉期~戦国期に見える荘園名...

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[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7396123]
関連項目: 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世) 

角川日本地名大辞典(旧地名編)

日本地名大辞典に収録されているものの中から、現在以前のものを再編。

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細川荘(中世)

鎌倉期~戦国期に見える荘園名丹波国桑田郡のうち鎌倉中期以来,隣接する吉富荘との間に境相論があり,「神護寺文書」中に建長2年から応永19年に至る相論文書が断片的に残されている当荘や吉富荘では薪炭生産が重要な産業であり,その生産と吉富荘より京への運送路をめぐる利害の対立が境相論の根底となっていた吉富荘に対する相論の主体は当初は「細川庄」,文永段階では「小野細川御作手」,応永段階では「下細川庄」となっているが,その区別や歴史的推移の背景については未詳この間,文永5年12月日付の小野細川御作手等重訴状によれば,「当御領山」はもと主殿寮領で,寛治年中,寮領内をもって続松料採所として割分されて以来,代々仙洞御領であるとしているまた建長2年2月20日付の前石見守友景奉書等によれば,鎌倉期の領家は冷泉家であった南北朝期には禁裏御料となり,永和年間以降,権大納言洞院公定が山国荘の別納として管理しており,種々の雑公事を貢上していた様が,「御湯殿上日記」や「言国卿記」によって知られるその後,永正12年2月吉日付の中世古福市大夫兼文から小田屋宗兵衛に宛てた神宮御師道者株沽券に「丹波国〈細川三ケ郷〉一円」と見え(輯古帳/大日料9-6),「守光公記」永正14年11月22日条によれば,駕輿丁の訴えにより,「ほそ川の地下人」の駕輿丁に山城長坂口兵士米を課すことが禁じられているこの頃からか,隣荘吉富荘の宇津氏による当地の押領があったらしい年未詳(永禄11年か)4月18日,丹羽長秀・木下秀吉・中川重政・明智光秀4名連署で,「禁裏御料所山国庄〈枝郷所々,小野・細川〉」を禁裏直務とする旨の織田信長の命が宇津右近大夫に通達されており(古簡雑纂/大日料10-2),天正10年9月4日には中山権大納言慶親が同地に対する宇津右近大夫の押領を停止し,先の信長朱印に任せて直務させるよう秀吉に要請している(立入文書/大日料11-2)荘域などは未詳だが,京北町南部の細野川流域にあたるだろう江戸期のこの流域には余野村・細川滝村・細川上村・細川中村・細川下村・細川田尻村・長野村が成立したなお「高山寺縁起」には同寺境内住吉社の御供灯油料所として「細川庄」が見え(続群27上),永享7年9月日付高山寺寺僧等申状案によれば,同荘は寛喜3年に富小路盛兼が寄進,その後同寺に住吉社を勧請して,嘉禎年中その灯油料所としたものというそして足利義持の安堵も得たのに,当時,領家職を押領した鷹司家が違乱していると訴えている(高山寺古文書)この「細川庄」が前記「細川庄」とどのような関連にあるかは未詳

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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