ケータイ辞書JLogosロゴ 本明谷村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと豊臣氏蔵入地。慶長7年八上藩領,同13年からは篠山藩領。村高は,慶長13年丹波多紀郡桑田津之国帳250石余,「丹波国郷帳」250石余うち田225石余・畑25石余,「丹波志」231石余,「天保郷帳」256石余。天明3年高附帳による家数41,人数男91・女71。字白壁の住吉神社は川原村の住吉神社の御旅所。仏生山金林寺は,中世籾井氏の祈願寺であったが,のち廃寺となり,仁王門と鐘楼の跡や塔頭普明院・安養院・十善院・蓮光坊・尾崎坊跡が残る。曹洞宗明鏡山本体寺は天正年間の再興と伝え,もと金林寺の東方に位置していたが,火災にかかってのちに金林寺跡に移建された。明治22年福住村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396202
最終更新日:2009-03-01




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