ケータイ辞書JLogosロゴ 見内村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。もと波賀野村の一部,年月不詳だが分村して成立。篠山【ささやま】藩領。「元禄郷帳」では「波賀野ノ内,三内村」と見え,ほかの郷帳類では江戸期を通じて波賀野村の一部として扱われた。村高は,天明3年高附帳・「丹波志」ともに89石余。神社は式内神社二村神社,往古多紀郡下郷の惣社といわれ末社も数多くあったが,文明14年祭礼で各村互いに口論し,神社の所有物をそれぞれ持ち帰り各村で祭祀するに至ったという(丹波志・県神社誌)。往古から死物は鳥類に至るまで,同社より奥地に埋めることを禁じ,住山村の奥へ山越に埋め,正徳年間よりは川下の波賀野村まで持出し埋葬したという。天正6年兵乱により焼失。その後氏子は離散,元和年間には住人8戸で田は荒廃,寛永5年藩主は郷代官酒井藤右衛門に定免の請所を命じ,農夫を招き開発耕作させ,慶安4年再び1村となり改めて見内としたという。二村神社別当天台宗神宮寺があった。天明3年高附帳によれば,家数13・人数56。「多紀郡明細記」によれば,高69石余,租率50.5%,家数14・人数76,牛7。村内の山から陶器用土を産出,余業陶土ハタキ水車が2か所,臼が18設置されていた(多紀郡明細記)。明治22年古市村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396393
最終更新日:2009-03-01




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