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- 三方村(近世)とは
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三方村(近世) 江戸期~明治8年の村名味潟・味方とも書く会津地方北部,阿賀川北岸に位置する耶麻【やま】郡のうち会津藩領大谷組に属す村高は,文禄3年の蒲生高目録には「味方・長窪」と見え201石余,寛政年間の「会津鑑」では235石,文化15年の村日記(県史10下)では237石余,「天保郷帳」317石余,「旧高旧領」338石余村名は村内に沼(潟)が3つあることによる化政期の家数3軒,小名若宮2軒,端村栃窪9軒・長窪2軒・地割9軒・塔窪7軒(新編会津)栃窪と長窪の中間に上沼がある村内に文禄年間から享保年間頃に築かれた若宮堤・塔窪堤・葭沢堤・栃窪堤・旱田堤がある神社は天満宮・稲荷神社・富士神社寺院は真言宗清水円満寺明治4年の戸数31・人口175(若松県人員録)同8年小土山村と合併して磐見村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」