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見土呂荘【みとろのしょう】 (中世)鎌倉期から見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
見土呂荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名宇陀郡のうち見度呂・見土路とも書く建長2年7月3日付僧栄元田地流文(沢氏古文書10)に「合参段者 字見度呂庄之内 在大和国宇陀郡」とある応永12年頃作成されたとみられる宇陀郡田地帳案(春日大社文書4)によれば,その田積・所当は「見土呂庄 定田九町三反 分米四十六石五斗仏神領,七反半 同三石七斗五升 大井当知行」大井氏は,天文年間に当荘内の水田1反を大井八郎二郎から国衆沢氏が買得していることからみて,当地に蟠踞する地侍であったらしい(天文3年3月24日付本村泰秀売券/沢氏古文書11)また「三箇院家抄」巻2には「高塚之内極楽寺領御許可分……一反半見土路」「⊏⊐寺領御許可……一反見土路内」とあり,高塚極楽寺および某寺の領田が荘内にあった現在菟田野【うたの】町平井の字美登呂・美登路薬師・美登路坂東・下美登路などがその遺称地宇太水分神社古図にも入谷(現菟田野町入谷)の東方に「美与路」と注記がある... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
見土呂【みどろ】 加古川下流域右岸の平野部に立地する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
見土呂(近代) 明治22年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」