ケータイ辞書JLogosロゴ 宮ノ前村(近世)


兵庫県>篠山市

 江戸期〜明治22年の村名。丹波国多紀郡のうち。江戸初期に波々伯部村が当村ほか7か村に分村して成立したと思われる。篠山藩領。村高は,「丹波国郷帳」234石余うち田213石余・畑21石余,正徳年間大郷帳・「丹波志」ともに232石余。なお,「天保郷帳」では波々伯部村のうちに含まれている。延享3年の家数33・人数147,牛11(巡見使庄屋覚書),天明3年には家数32,人数男69・女61(高附帳),天保9年の家数35,人数男79・女70(巡見使庄屋覚書)。字月ノ木鎮座の波々伯部神社は貞観年間の創立と伝え,天徳2年京都八坂神社の分霊を勧請したといい,中世の波々伯部荘は同社領であったため当地周辺の住民の崇敬が篤かった。社守の僧舎は竜王山万楽寺と称したが,貞享3年祇園寺と改称した。祭礼の曳山の上で演じられる操り人形は,俗にデクノボウと呼ばれ,文楽人形の前段階を示すものである。ほかに字ホノ坪に大歳神社がある。明治初年波々伯部神社の境内地は当村から独立して波々伯部分と称した。同22年日置村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396743
最終更新日:2009-03-01




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