ケータイ辞書JLogosロゴ 室津(近世)


兵庫県>御津町

 江戸期〜明治22年の津名。播磨国揖西【いつさい】郡のうち。室津町ともいい,近代になると室津村と称した。姫路藩領。村高は,「正保郷帳」197石余すべて畑方,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに355石余(賀茂明神社領30石・見性寺領30石などを含む)。江戸期は西国大名の参勤交代の時,海路から陸路にかわる港町。鎮守は賀茂大明神(現賀茂神社)。皇室・将軍・諸大名の信仰が篤く,徳川将軍から朱印高30石が寄せられた。社宝に狩野元信筆神馬図額がある。末社は河合社など10社。寺院は臨済宗仏通山見性寺。遊女室君が建立した5精舎で現存する唯一のもの。ほかに浄土宗清涼山浄運寺がある。同寺には法然上人讃岐へ配流の時,上人の説法を聞き得度して念仏往生を遂げたという遊女友君の墓がある。また,井原西鶴の「好色五人女」に登場する清十郎は室津の生まれ,狂乱して室津で水死したというお夏の像が祀られている。浄土真宗本願寺派鶏林山寂静寺・真宗大谷派鶏林山徳乗寺・日蓮宗恵光山大聖寺が現存する。このほか,かつては浄名寺・清泰寺・発通寺・観音寺・不二菴・正洞院・正法寺・大雲寺・室行寺・仏法寺などが甍を並べていた。姫路藩のお茶屋があって朝鮮信使その他貴賓の接待に使用された。西国大名の本陣が,明和年間頃には,肥前屋・肥後屋・紀井国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋と6軒あった。ほかに回漕問屋の島屋,海産物問屋の魚屋などの脇本陣があって西国の73藩が利用した。湊口番所があって諸大名,外国使節,往還の旅客船の警衛にあたった。宝暦年間の家数791・人数3,251,遊女屋4軒・77人。畑作では麦・大豆・綿などを産し,漁業は手繰網・打瀬網・鯛網・一本釣りなど。また海運業も盛んであった。袋物・煙草入れなどの製造も行われた。明治4年室津郵便局開局。同5年湊口番所跡に檉生小学校開校。同6年5丁目に観瀾小学校開校,同8年檉生小学校と統合。同19年巡査駐在所設置。同22年山陽鉄道の開通によって港は衰微した。同年単独で自治体室津村を形成。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7396844
最終更新日:2009-03-01




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